第四回 大岡信研究会リポート
「大岡信の社会学」土屋恵一郎(明治大学法学部教授)
第四回大岡信研究会は、9月27日、明治大学法学部教授の土屋恵一郎氏が「大岡信の社会学」と題した講演をした。冒頭、西川会長から「土屋先生は、大岡信明治大学教授の教え子であり、生粋の江戸っ子、専門は法哲学ですが、能楽の著作やプロユーサーとしてもたいへん有名な方です」と紹介があった。
土屋氏は、「かね子夫人(深瀬サキ)作の能の上演の手伝いをした時に、大岡信先生とも親しくなった。当時(1960年代後半)の大岡信は、35~36歳で、たいへん美少年であった」と笑いとともに講演は始まった。「詩人大岡信は、批評家でもあり、直接の社会のついての発言は抑制されていても、そこには、現実への批評が常にある。この日は、大岡信の著作『うたげと孤心』を中心に、文芸の問題から社会の問題へ至る、魅力ある持論を展開した。
日本の詩歌あるいはひろく文芸全般、さらには諸芸道に至るまで、ある種の「合す」原理が強く働いていることに、大岡信はフォーカスを当てた。たとえば、懸詞や縁語のような単純な要素から本歌取りまで、短連歌から長大な連歌、俳諧まで、或いは謡曲の詞章に、佳句名文に至るまで、一様に「合す」原理の強力な働きを見出すことができる。これを制作の場についていえば、協調と競争の両面性をもった円居、宴の場での「合せ」というものが、「歌合」において典型的にみられるような形で、我々の文芸意識をたえず支配してきた。
すなわち、大岡信は、集団で人びとが「合す」ことと「競う」ことが日本の芸道にあると。個人としてではなく、〝座(グループ)〟として、四座として競うことで興行を重ねた〝能〟では、「立合い」ということを世阿弥がよく述べているが、勝たねば生き残れない興行の競い合いのなかで、どのようにして勝つかの戦略が必要であり、それを「風姿花伝」として残した。香道や華道も同じ、花=花瓶を競いあうことだった。
方法論としての「合せ」は、国際的にも展開し、メキシコの詩人(ノーベル文学賞受賞者)オクタヴィオ・パスらが共同制作を試みた。日本人は“同質なものが良い”と考えがちだが、日本の芸道は異質な声の競い合いであったことを、大岡信とオクタヴィオ・パスが甦らせてくれたと言える。
このあと、さらに能楽をはじめとする芸道、古典文学に関わる数多くの具体例とともに、講演は続いた。「中心は一つではなく、たくさんの中心がある。日本の芸道はひとりの孤独な人間がいて、寄り合って、集団で、動く中心のなかで、異質な声を寄りあわせて芸術作品を表現できる人間によって荷われてきた」と。
講演の最後では、大岡信の詩集『旅みやげ にしひがし』から「延時イエンシーさんの上海」を取り上げ、「旅もまた、文人たちにとっては、『うたげ』の一種であった。歌枕を探り、古人の跡を追って旅すること自体が、いわば抽象的な『名』や『死者』と本人とのあいだに『ことば』をなかだちにして成り立つ『うたげ』の追求に他ならなかった」とし、詩人・大岡信は死んでいった者たちとも『連なる』ことで、うたげと孤心を実践した。そしてさらに、「詩は個人の歌であると同時に、出会った者たちと旅する(=うたげする)、心を通わせることができるものだ」と結んだ。刺激的な内容あふれる研究会であった。
(鈴木恵治記=研究会会員)