研究会報告
第十五回研究会報告:『大岡信と恋、岡野弘彦さんに聴く』岡野弘彦(歌人)・聞き手長谷川櫂(俳人)
令和元年5月26日(日)、「大岡信と恋、岡野弘彦さんに聴く」と題して、インタビュー形式のはじめての研究会を行った。
岡野氏が大岡信と最初に出会ったのは、折口信夫の没後、折口記念会が出来て、釈迢空の詩について大岡に講演を依頼した機会だったという。大岡の伸びやかな表現は若い頃から心の憧れだったという岡野氏は、講演を引き受けた若き大岡の率直な姿に惹かれたという。「話をしなければならないと思うと緊張してお腹が痛くなっちゃうんだよね、岡野さん」と言いながら大岡は、瑞々しい詩人・釈迢空論を2回講演したとのこと。この講演は、まだ活字になっていないという研究会にとって興味深い話も聞けた。
次の出会いは、平成8年から始まった若山牧水賞の選考委員を大岡と一緒に務めた時。その折に大岡から、「岡野さん、あんな歌詠んでいてよく教壇に立てるねえ」と言われたのを叱られたと思った岡野氏は、同じ選考委員の馬場あき子氏に話したら、「あれは短歌に表現された熱い想いに共感しているのよ「」と言われたエピソードを披露した。大岡がこのときに念頭にあったのは、岡野氏の〈黒髪を手にたぐりよせ愛しさの声放つまでしひたげやまず〉(『滄浪歌』)のような激しい歌であったのではと長谷川櫂氏が指摘。その後、自由詩と定型詩の違いにまで話題は広がった。牧水賞が行われる宮崎での滞在中、一緒に風光を楽しんでいたとともに、大岡は毎回用意されるワインを楽しみにしていたという。
インタビューは、歌仙の話に。『歌仙』(昭和56年)に収録されている「新酒の巻」「鳥の道の巻」で大岡の付句や、岡野氏、大岡信、丸谷才一と三人で巻いた「YS機の巻」(『歌仙の愉しみ』(平成20年)所収)などを紹介しながら、歌仙での大岡とのやりとりを、長谷川氏が読み解いていった。
「合わせる」という原理を適用すると歌仙あるいは連詩になり、それを人間の男女の問題で捉えなおすと「恋」となり、その文学上の「恋」に大岡は熱心に取り組んでいたことを長谷川櫂氏は強調した。大岡が連句において「恋」というものを表現するときに、はぐらかすようなところがあるのではという長谷川氏からの興味深い指摘があった。
平成16年に大岡が宮中歌会始の召人を務めたときの詠進歌〈いとけなき日のマドンナの幸ちゃんも孫三たりとぞeメイル来る〉を紹介。この歌においても、大岡が恋というものをどのように考えていたかがわかるという。
岡野氏は、大岡らしい抒情詩の美しい表現が短歌のかたちで出てくると思っていたが、発表された歌をみて、このスタイルで出されたかと驚いたという。宮中歌会始は伝統的なかたちがあって切り崩すのは大変であるが、現代の恋を堂々と詠んだ大岡の歌は、歌会始に新風を吹き込んだと岡野氏は語った。
終盤に、岡野氏が若い頃に宝物のように読んでいたという大岡の初期の純真な抒情詩(「明るくて寂しい人に」「地下水のように」)を味わうとともに、詩集『春 少女に』から「光のくだもの」「春 少女に」などの詩を皆で鑑賞した。この2篇の詩には、前者には大岡の妻に対する、後者には大岡の娘に対する「恋」というものの表現があり、こういう詩が並んでいるところに、大岡の恋というものに対する考え方が現れているのではないかという長谷川氏の指摘がおもしろかった。
大岡が恋というものをどのように捉えていたかを、初期の詩から晩年の歌仙までを見渡して、歌人と俳人が語り合った。実に豊かな「うたげ」の時間であった。
(渡辺竜樹:大岡信研究会会員)
第十四回研究会報告:『身にしむ色』小島ゆかり(歌人)
平成31年1月27日(日)、明治大学で開かれた第14回の大岡信研究会は、歌人の小島ゆかり氏が講演した。
大岡信の仕事の柱の一つに古典詩歌論があり、歌人としてその仕事に興味があったという小島氏は、色彩を通して日本の詩歌の本質を見出していった大岡の論を引きながら、「身にしむ色」を中心テーマに、配布されたレジュメに示された和歌・短歌を一首ずつ辿った。
はじめに、今回の研究会が開かれた1月にふさわしい和歌の紹介から始まり、大伴家持やユーモアあふれる長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)の歌などを読んでいった。大岡は万葉集の中でもナンセンスな歌が多く収められた巻16を愛していたとのこと。
本題の「身にしむ色」では、紀友則、藤原俊成、そして定家の歌を引きながら、「身にしむ色」という日本独特の「色」を見出していった和歌の流れを、研究会の皆で繙いていった。
また、後半の現代短歌の紹介においては、若山牧水賞を受賞した河野裕子の歌集『歩く』の中の〈さびしさよこの世のほかの世を知らず夜の駅舎に雪を見てをり〉という歌に対する大岡の選評が紹介され、この歌に定家の幽玄体のような伝統的な和歌のかたちがあると同時にしみじみとした感じがあるとし、短歌が持つもっとも大切な感情である「しみじみとする」ということが近年忘れられていないだろうかと大岡が指摘したことに、氏は、目をひらかされる思いがしたという。
最後に、小島氏の歌〈はるかなる波動を聴かんいまごろは春毛ととのふ屋久鹿のむれ〉(『六六魚』)を解説し、この歌の発想のもとには、大岡の詩「豊饒記」があり、人間は波動するものであるとした大岡の発想は、福岡伸一の『動的平衡』の30年も前にすでに同様のことを言っていたのだと感心したと語った。
色ということを注目して詩歌の歴史を究明していった大岡の論の鮮やかさが、小島氏の短歌実作者の視点から明らかにされていった。
(渡辺竜樹:大岡信研究会会員)