第九回研究会報告
4月5日に大岡信が亡くなってから最初の研究会となったこの日、明治大学教授の松下浩幸氏が「大岡信と夏目漱石」という演題で講演を行った。夏目漱石の研究で多くの業績がある松下氏は、明治大学大学院時代に大岡の授業を受けていたという。昭和40年に大岡が明治大学に着任した頃から退任直前までの大学便覧や講義要項を紹介しながら、大学教員としての大岡信の変遷をたどった。教員に割り振られる役職には学生相談員もあり、大岡も相談員であった時期があり、学生のカウンセリングに応じていたかもしれないという、今思えば驚くべき事実も紹介した。 話しは昭和27、8年頃の大岡が在学していた東京大学国文科の様子に遡っていった。その当時、教授陣に近代文学を担当する先生がほとんどいない中で、夏目漱石を卒業論文のテーマにすることがいかに珍しいことかと指摘。サンフランシスコ講和条約の時代で、日本とは何かを問うような古典流行の時代下において、大岡はなぜ夏目漱石を選んだか。この大きな問いに対して、松下氏は、大岡の中に、政治よりも自分自身に向き合って解決しなければならないものがあったのではないか、「自信過剰の自信喪失」の時期において、そういう自分をどうやって処理するのかという抜き差しならぬ思いが卒業論文に漱石を選んだ強い動機になっているのではないか、と指摘した。 講演は、大岡の漱石論の中心テーマである「則天去私」神話への批判や散文精神のことに触れながら、修善寺大患以降の漱石作品に惹かれた大岡の論考を紹介していった。江藤淳の漱石論との示唆に富む比較もあり、大岡の漱石論が江藤のそれよりも前に世に出ていたら、その後の漱石研究の風景が違っていたとも語った。「大岡にとっての漱石論は、青年大岡信の自己再生の物語ではないか」という氏の指摘は、この卒論が、その後膨大な仕事を成し遂げる大岡の立脚点であったことを教えてくれた。若き大岡信の思いを知る講演だった。 (渡辺竜樹:大岡信研究会会員)