第五回大岡信研究会報告
「大岡信から学んだもの」八木忠栄(詩人、俳人)
第五回大岡信研究会は、1月31日、元『現代詩手帖』編集長で詩人・俳人の八木忠栄氏が「大岡信から学んだもの」と題して講演した。
氏は、11年間の編集者生活において、大岡との交流から学んだこと、同じ詩人として感じたことなど、多くのエピソードを、ユーモアを交えながら語った。
大岡本人に出会う前に、氏はまず大岡作品に出会った。最初は、1960年に出版された『大岡信詩集』(書肆ユリイカ)。まぶしそうで憂いがあるような著者の肖像写真にも惹かれたという。次に1964年ごろ現代詩の雑誌に掲載されていた大岡の「泥について」という文章。これに「まいってしまった」という。その後、1965年7月に思潮社に入社し編集者として大岡信に出会った。1966年1月号から現代詩手帖の編集を行うようになり、「わが夜のいきものたち」や「地名論」など大岡詩の傑作の誕生に立ち会うことになる。詩「地名論」が生まれるまでのエピソードが殊におもしろい。この頃、大岡は明治大学で教鞭を取っており、詩を依頼した時期がちょうど入試時期にかかり、大変な忙しさで、大岡が締切に気が付いた時は、その前夜だったという。大岡が徹夜で仕上げた原稿をみて、午前3時に起きて水道管を捻った時にふと出てきた言葉を書いてこんな素晴らしい詩ができるのか、と驚嘆したという。明治大学大学院の建物内で原稿をもらった時、「君はひでえや」と言われたが、「こういうちょっと荒っぽい言葉づかいをする大岡さんが大好き」と語った。編集者にとっては、大岡は、守備範囲が広く懐が深いので、座談会、対談、インタビューなど、どの面においても、安心してお願いできる人であり、また大岡の談話は、テープを起こしたらそのまま原稿になる話しぶりであったという。氏が大岡に怒られた時の思い出も語られ、しかし、大岡の「怒ってもあとにひかない」人柄が紹介された。
「もっと甘えればよかったなあ」と悔やむ氏の姿に、中心軸に大岡がいた時代に詩誌編集に携わったことの幸せと、「大岡信」という類稀なる人物にめぐりあったことの大きさが滲んでいた。
講演の最後に、1981年に自らカメラを回して撮影した詩人たちの姿を上映して、詩の熱い時代を回顧した。(渡辺竜樹)