第2回「大岡信の詩を読んで語る会」(2026年2月18日)「げに懐かしい曇天」:報告
第2回「大岡信の詩を読んで語る会」の詩は「げに懐かしい曇天」。この詩を選んだのは筆者が「大好きな詩」ゆえだが、なぜ好きなのか、その理由をこの機会に語ることで、自ずと新しい発見に出会うこともできた。第1回の「地名論」が「東京はいつも曇り」だったのを引き継いだような題名だが、これは偶然で、意図したわけではない。大岡信は「雨男」、と知る人は皆語る。大岡にとって曇天はいつも身近だったはず。筆者の個人的経験からも、目を細めるような眩しい快晴より、曇天はものみなありありと見え、心落ち着き、曇天で見た光景は、より記憶に残る気がする。詩の構成は、時間的には大岡の幼年1930年代から戦後の50年代、60年代が対象であり、幼い妹との小さな旅から自然現象への驚きに満ちた認識、青年期に見た社会階層的な変遷、渡仏の際のポール・ヴァレリーの生地で墓地のあるセート訪問、最後は手足のすんなりと長い女性が「彼女はぼくのつまになる」と結ぶ。空間的には故郷の三島、東京世田谷区経堂町、フランス・セート市、東京滝野川と土地名も明らかだ。時空が一体となり、さらにどの記憶にも常に人の声、心のつぶやきが伴奏する。朗読に特に面白い詩と、読後にその感を一層深くした。そして、この詩は大岡の「愛の詩」というのが筆者の実感であり、そのことが「好きな理由」と認識したのだ。参加者からは「げに懐かしい曇天をぼくはいくつも持っている」のリフレインが、最後だけ「持っていた」と過去形になっていることに感想や意見が活発に交換された。冒頭の「曇天は 大きな 翳ある尻のやうだ」に子供心のユーモアを見出す興味深い感想も語られた。この詩で長い章のヴァレリー記念館訪問の箇所は、筆者は当初あまり気に留めなかったが、他の章がより純粋な記憶の喚起に比べ、そこは詩人大岡の詩法あるいは詩論に及んでいる重要性に気づき、このことが発見でもあった。その章の言葉はヴァレリーの「海辺の墓地」「蛇の素描」などの詩篇にあり、それらをあたかも日本の伝統的本歌取りの手法で、大岡は自らの詩に生き生きと蘇らせ、かつヴァレリーの「人は後ろ向きに未来へ進む」との思想をも喚起させ、大岡はここでヴァレリーと対話しているのだと思えた。一方、研究会の運営委員の一人長谷川櫂氏は、ここはむしろヴァレリーに対する反論と語った。また「愛の詩」というより「謝罪の詩」、最終的には「愛の再出発の詩」と定義した。この興味深い論に喚起されて、参加者からこの詩の制作年への質問が寄せられた。この詩の初出は1978年8月発行の「現代詩手帖」第21巻8号で、同年12月に刊行の詩集『春 少女に』に収録された、大岡信47歳の作である。この情報は多くの読者には意外だったろう。特に最後の章の瑞々しい印象においては。実は、筆者はこの情報を最初に語ろうかどうか迷ったが、結果的にあえて語らなかった経緯があった。確かに、詩を批評あるいは研究のために読むにはこの種の知識・情報は不可欠だが、その詩に初めて触れる読者にとっては、むしろ不要ではないか、ましてこの詩のもつ「記憶」の自在な浮遊性を尊重したいとの思いもあって、初めには言及せず、話し合いの過程で出るだろうと考えたのである。いずれにせよ、この「詩と制作年」は重要なテーマであり、第3回の「雪童子」に関係してくるはずである。このような「引継ぎあるいは連関」もまた偶然で、意図したわけではないが、興味深い現象が生じていると思えた事だった。(越智淳子)
