第十回大岡信研究会報告:高橋順子(詩人)『大岡信 連句・連詩の精神』
平成29年9月18日(月・敬老の日)、明治大学で開かれた第10回の大岡信研究会は、詩人の高橋順子氏が講演した。30代のころ、『ユリイカ』や『現代思想』を出している青土社に勤めていた氏は、『大岡信著作集』全15巻を担当し、編集者として身近に接してきたという。
冒頭に、三島の大岡信ことば館で開催中の追悼特別展に触れ、「詩なら詩、評論なら評論と、大岡さんの仕事は高い山をなしていて、ずっと尾根歩きをしてきたことがわかった」と述べ、なぜこうなのかという問いを、歴史や社会、当時の人間関係、学問などを頭に置いて追及し、作家の個性を云々するにとどまらず、それを育んできたものをみようとする大岡の仕事に改めて感慨を深めたという。また、6月のお別れ会については、まるで「芸術祭」のようだったと、大岡の幅広い業績を偲んだ。
氏は大岡との関わりのなかで、詩についての考え方や文章の書き方で大きな影響を受けたという。「な」を一筆書きする癖まで影響されたそうだ。1977年に高橋氏の初めての詩集『海まで』が出たときに、大岡が十何人かの詩人を集めて出版記念会を開いてくれた思い出もあるという。大岡信や安東次男らが再燃させた連句熱を浴び、大岡を追うかたちで連句に惹かれた氏は、のちに『連句のたのしみ』という著書を持つまでになる。
講演では、懐紙の見本を披露しながら連句の特長を紹介した。フィクションゆえに自由で自在なこと。応酬の楽しさ。批評の緊張感。そもそも連句を行うことは、ことばが持つ深さに触れることであると。大岡は遊ばない人であったけれども、連句のような高等遊戯は大いに遊んだ人であったとも指摘した。
氏は、実験中の文芸であるといえる連詩の問題点、たとえば、定まった型がないことや、当事者だけがおもしろく、読む人はおもしろくない実情を鑑みて、読者もおもしろくなるにはどうしたらよいかと考えることが「大岡さんからもらった宿題」のように思われるという。連詩では1993年のベルリン、2000年のロッテルダムに大岡と共に参加し、詩朗読で1993年にフランス・ヴァルドマルヌ国際詩人ビエンナーレに参加したという。最初の連詩のとき、大岡に出来るかどうか心配ですと洩らすと、大丈夫だよ、と背中をドンと叩いてくれたことでやれる気になったという思い出や、滞独中に大岡の母親が亡くなったにもかかわらず、ほかの人のことを考えて連詩制作が終わるまで皆に黙っていた姿を紹介した。ホテルの寒さのために脳梗塞をおこした1993年11月のフランスの朗読会の様子なども語った。
講演では、大岡信、丸谷才一、岡野弘彦が巻いた三吟歌仙「果樹園の巻」や、ロッテルダムでの連詩「奥深いチーズの味の巻」(単行本未収録)のテキストを紹介して、大岡の連句と連詩の実作を辿った。「大岡さんの素晴らしいところは、連句を楽しむだけでなくて、日本の文学を考察する糸口にしてしまったこと」にあり、たえず私はなぜこんなことを楽しめるのかという分析を行い、分析だけでなくそれに付け加えられるべき可能性、「連詩」を考えることに至ったという。日本発にして世界を巻き込む熱い詩精神がどのように育まれていったかを、高橋氏は我々に示してくれた。
(渡辺竜樹:大岡信研究会会員)