sakebebamiyo

『大岡信詩集(総合詩集)「わが夜のいきものたち」』1968年、思潮社
【コメント】
おもしろいな。この詩は大岡信の詩のなかでも多くのひとが語る詩であるけれど、「瀬田の唐橋 雪駄のからかさ」が、なんで「いつも 東京は くもり」なのかは分からなくて、そのつながることない分割線の国境(くにざかい)を行ったり来たりしている大岡信が実に楽しいのだ。だから、大岡信の詩集で一番好きなのは、「旅みやげ にしひがし」で、「中国上海市 虹口区呉淞路義豊里 地番は今でも322里」と書いてあるだけで、詩人の立ちつくす姿が見える。(土屋恵一郎 大岡信研究会賛助会員、明治大学教授)


seibutu
『わが詩と真実』1962年・思潮社
【コメント】
思想というものは、彫刻を刻むように形をなすものではないようだ。
ある日、海からざばりと姿を現すように生まれ、青年の心に根を張る。
十代後半から二十代初めの、あの狂おしい日々。
形をなさないアメーバのような思想。
だが、成熟を拒むゆえに、かろうじて誇りを保ち、青年は傲岸にも大地に立っていられるのだ。(趙 栄順)


samuiyoake
『記憶と現在』1956年・書肆ユリイカ
【コメント】
一九六〇年代後半、全国の学府で体制批判の行動が巻き起こっていた。ヘルメットをかぶり闘う自分には、この詩は痛切に胸に響いた。この詩の気分は、こころと重なり合った。いつの時代でも、いかなる国や地でも、戦いは「城」をめぐって人血を吸ったのだ。またたく間に歴史は蔦で覆われる。けれど、恋人たちの悲しみと肉体、そして、うたはいつの時代も美しかった。若き日の愛唱歌「さむい夜明け」のフレーズは今も時々よみがえる。        鈴木 惠治(研究会会員・詩人)


seisyun
『記憶と現在』1956年・書肆ユリイカ
【コメント】
この詩にはじめて出会ったのは1970年ころだった。思潮社の現代詩文庫「大岡信詩集」に収められていた。新潟の片田舎にいては、好きな詩人の詩集もなかなか手に入らない、そんな時代だった。「おごる心の片隅に、少女の額の傷のような裂け目がある。」というころに鉛筆で線が引いてあるので、当時の私はそんな表現に魅かれていたらしい。青春の挫折、苦悩、傷心が美しい暗喩で描かれた一編である。(北側松太)