第十六回大岡信研究会報告:「詩と世界の間で~大岡信と過ごした67年~」谷川俊太郎(詩人)・聞き手:赤田康和(朝日新聞記者)
大岡信の盟友である詩人・谷川俊太郎氏が登壇した今回の研究会は、大岡死去のあと公の場で谷川氏が大岡信についてまとまって語るのは初めてとあって、研究会としては最も多い参加者があった。氏に話を聞くのは朝日新聞で詩の連載を受け持つ赤田康和記者。
はじめに、大岡信が亡くなって6日後に朝日新聞に発表した追悼の詩「大岡信を送る 二〇一七年卯月」を谷川氏自身が朗読した。普段日付を書くことのない氏が、「卯月」と記したのは喪失の悲しみからくる「うずき」と重ねていたからだという。インタビュアー赤田氏は、大岡との思い出にさかのぼって尋ねていった。大岡信に最初出会ったのは「詩学」誌の座談会のときという谷川氏は、大岡は暗く無口という印象を持ったが、後年はよくしゃべり社交的になり、読売新聞外報部の敏腕記者というイメージももっていたという。大岡との違いについて氏は、「大岡は酒を飲んで酔っ払うのが好きなんですよ。僕は酒を飲まない。ここが簡単な違いのようでいて、書くものや生き方にも関係しているとずっと思っていたんです」と語った。大量の散文を書ける人だから大岡を左脳的な人だと思っている人が多いが、実際は谷川氏の方が左脳的で大岡は右脳的だと三浦雅士氏からいわれたことに共感を覚えたという。大岡は底が抜けているようで野生的なところ、言葉と肉体的に一体化しているところがあり、「大岡の言葉っていうのは彼の体から出てきている」という興味深い指摘があった。視覚的な大岡と聴覚的な谷川、時間的な大岡と空間的な谷川、アタッチメントとしての大岡とデタッチメントとしての谷川という三浦氏の分析にも谷川氏は共感した。大岡の批評性を示すエピソードとして、若いころ大岡が氏に対して「現実とカミソリ一枚分だけ切れている」という言ったことが5、60代になってはたと腑に落ちたという。「彼は若い時からぱっと見抜けちゃう人だったんだなと感心したんです」という谷川氏の大岡評は印象的だった。
次に、『悲歌と祝祷』(1976年)所収の大岡の詩「初秋午前五時白い器の前にたたずみ谷川俊太郎を思つてうたふ述懐の唄」の朗読があった。この詩に大岡の「批評」を感じたという。続いて、長い年月ののちこの詩に呼応して書かれた氏の詩「微醺をおびて」を本人が朗読した。また、かつてマリリン・モンローについて書いた大岡・谷川両氏の詩の紹介もあり、谷川氏の「Ode マリリン・モンローに」は本人が、大岡の「マリリン」は研究会会員の奈良禎子氏が朗読した。資料として配布された大岡の詩「さわる」「わたしは月にはいかないだろう」「地名論」「小雪回想集」の魅力について一篇ずつ谷川氏がコメントした。
現代詩のなかに古典との接続を試みた大岡の仕事についても触れられ、朝日新聞に長期間連載された「折々のうた」についての谷川氏の見解が語られた。氏は当初、「折々のうた」は、選び抜かれた近現代詩のアンソロジーをつくるだろうと思っていたが、長期になるにつれてはっきりしたかたちでないアンソロジーとなってきたことに慣れず、自分の中で整理できなかったが、この連載を「流れ」として詩をとらえていくものと見定めると、次第に読むのが楽しくなったという。
「ぼくにとっては兄貴分。ずっと頼りにしていた」と語る大岡信との67年の交流を振り返り、大岡の作品と大岡信という人間の魅力を語った。「大岡がいないのはつまらない」というなにげない氏のことばに、「何を語るにも安心感があった」という日本現代詩の両巨頭の深い交流を窺い知ることができた。最後に、氏が大岡の著書『日本詩歌の特質』(花神社)を推奨していたことも付け加えたい。
(渡辺竜樹:大岡信研究会会員)